中二病というロックの進化形を示した水樹奈々の「ETERNAL BLAZE」から「BRIGHT STREAM」までーー2012年夏のアニソン③
2012年7月から9月のアニメソングをオタクな妻との対談形式で振り返る記事・その3。
「リリカルなのは」に見た魔法少女アニメの様式美
私:2012年夏には「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」が公開されました。
→魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 予告編
妻:わざわざ会社を休んで、子どもを保育園に預けて映画館に行っていたよね。
私:アニソンファンとして、一度は向き合うべき作品だと思ったんですよ。私はゼロ年代アニメの素養がなくて「リリカルなのは」って見たことがなかったんですが、なにせあの水樹奈々と上松範康のコンビが生み出した不朽の名曲「ETERNAL BLAZE」を生んだ「魔法少女リリカルなのはA's」のリメイクですからね。
妻:あの曲が名曲であるのは間違いないけれど、ついにあのロリータ魔法少女アニメの世界に足を踏み入れたわけね。それでどうだったのよ。
私:映画の後半は泣き通しでしたね。
妻:うわ。キモいね。
私:いや正直、自分自身あの作品にそんなに泣かされるとは思いませんでしたよ。いわゆる泣かせるための展開みたいなものが、怒涛のように押しよせるストーリーがすごすぎました。
妻:大きなお友だち向けの魔法少女アニメが、そんなに泣かせるの? 映画館に来ている人もそういう人ばっかりなんでしょ?
私:特に平日の昼間でしたからね。私を含めて魔法少女を卒業できない成人男性の巣窟でしたけど、映画館の暗闇のあちこちからすすり泣く声が響いていましたからね。
妻:平日の昼間から小学生の魔法少女に涙する日本男子達…。
私:いや素直にあれはすごいと思いましたね。全編にわたって、魔法少女もののお約束みたいなものに従って物語が進んでいくんですが、その完成度がすごいんですよ。物語中盤の変身シーンとか、なのはとフェイトで5分くらい続く感じでしたからね。
妻:変身シーンって、服が脱げて何だか裸っぽい感じになる、あれのことだよね?
私:そうです。あれが5分。
妻:5分……。なんの儀式なのよ。
私:あそこまで行くと、お約束の変身シーンも「様式美」と呼ばれるべきレベルだと思いますね。
ストーリーも、いわゆるお涙頂戴的なストーリーが魔法少女もののテンプレにしたがってこれでもかと畳み掛けてくるんですよ。自分にとって都合のいい設定の精神世界に閉じ込められたフェイトが、過去のトラウマを断ち切って現実世界に戻るシーンなんて、本当に涙なしでは見られないですからね。
妻:確かに、お約束というだけあて、どこかで聞いたことのあるような展開よね…。
私:そのどこかで聞いたような展開の完成度がすごいんですって。私はあのシーンを観て、なんだか、私自身も現実世界に立ち返って頑張らないといけないって強く思いましたからね。
妻:あのよくある精神世界から脱出する設定って、それを鑑賞するオタクにフィクションの世界から現実に立ち返る力を与えるというメタフィクション的効果を狙ったものだったの?
私:そうなんだと思いますね。オタクたちはみんなあの魔法少女の胸で泣いて、現実に立ち向かう強さを得ているんだと思いますね。
妻:魔法少女が世界の命運を担うと共に、オタクが現実に立ち向かう力まで授けないといけないなんて…。
私:確かに、ロリコン的鑑賞や百合的な鑑賞にも耐えながら、世界を救うとともに共にオタクにカタルシスを与える魔法少女という存在は、改めて考えるすごいですよね。
妻:明らかに小学生を働かせすぎよね。
魔法少女といえば、昨年は「魔法少女まどか☆マギカ」の劇場版もやっていたよね。
私:そうですね。昨年は都築真紀と虚淵玄というエロゲ出身で現代の日本文化を支える二人の鬼才が、王道と邪道の魔法少女もの劇場版アニメで競ったという意味で、一つの到達点として魔法少女の歴史に刻まれるべき一年だったのかもしれないですね。
妻:魔法少女の歴史にあまり詳しいわけでもないのに、もっともらしく言ってみたね。
魔法が使えるロックスターの水樹奈々
妻:いい加減、話をアニソンに戻したいのだけど、「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's」の主題歌「BRIGHT STREAM」は紅白でも歌われていたし、昨年の水樹奈々を代表する名曲であったのは間違いないと思うけれど、映画を見た上での感想としてはどうだったの?
私:私はあの映画を観て、初めて水樹奈々のすごさがわかった気がしましたね。
妻:ライブにすら行ったことないのに、水樹奈々をわかったと言ったね。
私:いや、確かに私なんぞがわかったようなことを言うと申し訳ないわけなんですが、結構単純な気づきがあって、水樹奈々のすごさは、やはり声優であり、歌手であるってことなんだと思うんですよ。
妻:というと?
私:私は長い間、水樹奈々って、一般のアーティストにも負けないかっこいいロックが歌えるアニソンシンガーだと思っていたんですが、そうじゃないんだと気づいたんです。
あのかっこ良さは、自分であの超絶かっこいい攻撃魔法が使えるフェイト=水樹奈々だから出せるものなんですよ。
妻:攻撃魔法が使える?
私:だって、普通のロックスターって、自分で本当に魔法が使えるわけじゃないじゃないですか。
妻:確かにマイケル・ジャクソンのムーンウォークだって、極めて現実的な修練の上に成り立っているらしいよね。
私:そうそう。普通のアーティストは生身の人間というどうしようもない制約の中で、スターであることを実現しているわけです。
それが水樹奈々の場合、自らフェイト・テスタロッサとしてバルディッシュを振るい、強大な魔法を使って、なのはと一緒に世界の崩壊を救ったりするわけですよ。
妻:なんとなく言わんとしているところはわからないではないね。
私:だから私は、水樹奈々って、ロックの歴史において、人間が人間であるとことの制約を超え、そのかっこよさがフィクションの世界においてこそ成立すべきものであることを示した存在なんじゃないかと思うわけです。
妻:なんか話が大げさになってきたね。
水樹奈々楽曲が中二病的歌詞を持つ意義
私:そう考えると腑に落ちる点もあるんですよ。例えば水樹奈々って結構自分で作詞をしていますが、歌詞が中二病的だとかって揶揄されるじゃないですか?
妻:「ETERNAL BLAZE」でいうと『黒天』と書いて「まよなか」と読ませるあれよね。
私:そう。あれを小馬鹿にするのは水樹奈々の偉大さを完全に見誤っているというべきだと思います。まさに中二病の世界こそが水樹奈々の立ち位置であって、中二病的なカッコ良さは水樹奈々とともに日本で生まれたロックの進化形なんですよ。
妻:確かにロックって突き詰めると中二病になっていく傾向はわかる気がするなあ。
私:誤解がないように言っておきますが、いい意味での中二病ですからね。
「BRIGHT STEAM」を紅白で聴いた人が何を思うのかは知らないですけど、あれはやはり、なのはを思うフェイトの気持ちであり、悲しみを乗り越えて戦う魔法少女の歌として聴かなければ、本当の良さがわからないような気がします。
水樹奈々の中二病的ロックの系譜
妻:水樹奈々の曲って、例えば去年のその他のアニメタイアップ曲を思い返しても、BLOOD-Cの「METRO BAROQUE」といい、DOG DAYS’の「FEARLESS HERO」といい、作曲家はやしきんさんとか、吉木絵里子さんとか違いあるのに、何か統一した水樹奈々の世界を感じるのよね。
私:曲を作っている人が違うとは思えない統一感ですよね。私はそれが、水樹奈々の中二病的ロックの系譜ともいうべきものだと思うんですよ。
妻:確かにロックテイストな水樹奈々楽曲って、既にひとつのジャンルとして確立されているような気がするね。
私:そういう意味では、昨年の「BRIGHT STREAM」は、その偉大な第一歩を踏み出した「ETERNAL BLAZE」を生んだ「リリカルなのはA's」という作品に再び向き合うにあたり、今の水樹奈々が変わらぬ輝きを誇っていることを名曲として示してみせた作品とも言えると思います。
妻:「ETERNAL BLAZE」から「BRIGHT STEAM」に連なる、中二病的ロックの輝きということね。
まあ、その起点となった水樹奈々と上松範康の「ETERNAL BLAZE」はやっぱり偉大よね。
私:そうですね。私は「ETERNAL BLAZE」って30年ぐらい後に、還暦を過ぎた水樹奈々が紅白で歌ってもいいような名曲だと思いますね。